005  山のてっぺん

 昨年2月と今回、2度とも大分の伊藤亨さんにお世話になった。1930年生まれ、元日に74歳を迎えられた。バイタリティーあふれ、好奇心旺盛のすばらしい熟年(老人とはとても書けない)である。チベットに魅せられ足繁く通ううちにパイプも太くなりm現在では6000m級の未登峰の登山をめざして、夢を熟年登山者に与え続けてくださっている。

 2日とも冬なので、未登峰に手足は出せず眺めるだけの旅であったが、地球はでっかいよということを又々実感させられた。昨年の2月にご一緒した遠足会員の五十嵐さんは9月の登山隊に参加、6000m峰を初登頂されてきた。感激の便りが届いた。そりゃ感激するでしょうよ。

 登山界が多様化するのは結構なことだが、それを受け止める個人が多様化してしまったら話にならない。アレといわれりゃアレをやり、コレといわれりゃコレ、ソレといわれりゃソレを追っかけていたら、あっという間に人生の日が暮れてしまう。

「まず頭で考えろ、オマエはなにがしたいのか、そしてなにができるのかを。あるぴにずむはなによりも自覚の問題である」と、先輩から教えられ、その教えを守って自らを育ててきたとはG・レビュファの言葉だが、だれだって頭で考えなくっちゃ。手や足は動いてはくれるけれど、考えてはくれないからね。その自分のスタンスを見定めなくては、自身の人生は始まらないと思うんだけど。

 ぼくは自分がチビのせいか、チマチマしたことは嫌い。説明しなくっちゃ価値を理解してもらえないような遊びも嫌い。そこに自分の居場所があるから山のてっぺに登るのが好き。

 「なぜ山に登るのか}「山のてっぺんにはもののみ方をかえてくれるなにかがある」(『わたしの南アルプス』不破啓三著、山と渓谷社刊)−−−じゃないすっか。

2004/01/02 記


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