岩 崎 元 郎 の


 

 山と温泉トップページへ戻る   次のページへ 

北鎌温泉と湯俣温泉

 なぜ山に登るのだろう。これはマジに考えると頭が痛くなってくるので、すぐ棚の上に上げてしまう命題ではある。山から下ったら温泉に入りたい、この件に関してはだれも自らに、なぜだなんて問わない。自明のことだから・・・。

 

 素敵な温泉の思い出は、両手両足の指をたしても足りないくらいに数多い。数ある魅力の温泉の中から、今回は湯俣温泉を紹介しよう。数年前、ぼくがコーディネートしている「山の遠足」で、北アルプスのど真ん中に位置する赤牛岳に登ることになった。地図を広げてアプローチを考えた。見つけ出したのが、真砂岳に上がる竹村新道。この取り付きに、湯俣温泉・晴嵐荘がある。入山初日、高瀬川沿いの長い軌道跡の道を歩いて、晴嵐荘に投宿。気持ちのいい湯船に手足も伸ばしていたら、新人時代の冬山合宿がよみがえってきた。

 

 1963年春、ぼくは昭和山岳会に入会した。暮れから64年正月にかけての冬山合宿は、北鎌尾根と硫黄尾根からの槍ヶ岳集中登山であった。ぼくは北鎌班に入れられた。新人だから、C1を設営するP2までの荷揚げ要員である。学生だったから先発隊として24日だったかに東京を離れ、本隊が入山してくるまでの数日、葛温泉から湯俣BH(ベースハウス、無人小屋があった)、BHからC1へと毎日荷揚げを繰り返した。若い頃の苦労は買ってでもしろとは良く言ったもので、冬山登山の基本、冬山の生活技術をこの合宿で学び得たと思う。

 

 集中登山は無事成功し、両班は尾根上のキャンプを撤収し、湯俣のBHに集結した。湯俣は有名な温泉湧出地である。湯俣川の河原のそこここから温泉が湧いているのだ。先輩が二人、温泉を作るぞと言って、スコップを担ぎ河原に出て行った。小一時間もすると、「出来たぞ、いい湯だぞ、みんな入れ」と言いながらBHに帰って来た。

 

 早速出かけてみると、温泉が湧いている辺りを石で囲み、川の流れを上手く誘導して囲みの中が、程良い温度に調整されていた。新人仲間とホンモノの川湯を楽しんでみた。合宿は終了、葛温泉までの下山を残すのみ。軌道の上を歩いて行けばいいだけだから、この先危険はない。仲間と二人、リラックスして天然湯船に手足を伸ばした。湯俣温泉は、ぼくの脳裏にしっかり刻みこまれた。

 

 6年間在籍して登山の基本を学んだぼくは、昭和山岳会を卒業して、自分たちの力を試してみようと、蒼山会同人という山岳会を創って活動を開始した。ゴールデンウィーク、ぼくが出したプランは新人のときP2までしか行くことのできなかった北鎌尾根。厳冬期は難度が高すぎるので、GWとした。高瀬ダムの工事が始まっていて、タクシーは七倉まで入り、高瀬川沿いにはダンプカーがガンガン走っていた。負けじとぼくらもガンガン歩いて行った。その日のうちにP2の先にツェルトを張った。新人時代は三歩歩けばバテていたのに、我がコトながら強くなった。二日目は夜明けと共に行動開始、独標を越え12時には槍ヶ岳のテッペンに立っていた。

 

 その後のぼくに、硫黄尾根を登らせ、竹村新道も登らせたには、あの冬山合宿の湯俣BHでの最後の日、湯俣川の河原で入った湯俣温泉だったと思う。

                                                         2011.10.15 記



 Copyrighit(C)2008-2015 Motoo-Iwasaki
許可無く、他ヘの転載、掲載を固くお断りします